学うた 交流会
「青いキャンバス」 について - 京都より (男性)
2022/01/25 (Tue) 23:36:03
畳の部屋に寝転んで~
で、はじまる「青いキャンバス」は、
どこのサークルの創作曲でしょうか?
いまでも、その学校では愛唱歌か何かになっている
のでしょうか。
リンゴが出てくるので 青森や信州だと思うのですが・・・・
Re: 「青いキャンバス」 について - doc (?)
2022/01/26 (Wed) 16:00:06
ようこそ!
”青いキャンパス”作詞=河東寒吉、作曲=小山治男
1)たたみのうえに 寝ころんで まどをながめたら
四角いまどのむこうに みえた 青いキャンパス
youtube で発見しました。「金沢大学教科研OB」とあります。今はもうないのですが「全国教育系学生ゼミナール(全教ゼミ)」にかかわりのあるサークルだったのではないでしょうか。全教ゼミは全国集会の際、毎回大会歌を創作しており、どれも素敵な曲でした。この曲が大会歌になったかどうかはわかりませんが、関わりのあったサークルではないかと、私の推測です。「そうちゃん」が全教ゼミ関連のホームページを開いていましたが、残念ながらすでに閉じられています。
https://www.youtube.com/watch?v=F5ZcaAssyU0
Re: 「青いキャンバス」 について - もうすぐ古希 (男性)
2022/05/11 (Wed) 19:27:19
ネット探索で偶然こちらにたどりつきました。
1974年頃信州大学でうたごえをやってました。
この歌は、信州大学教育学部の学生だった河東さんと小山さんが作った歌と聞いています。
1974年にはお二人とも卒業生でした。多分卒業2,3年後くらいだと思います。
小山さんには、当時お見掛けしたことがありますがメガネをかけて温厚そうな方でした。。
尚余談ですが、「青いキャンパス」(PASU)の原名は「青いキャンバス」(BASU)です。
この歌は、当時から他大学でも知られていましたが、(PASU)として歌われていました。
当の信州大学でもコアなメンバー以外は(PASU)で認識されていました。(笑)
「建設者」の歌詞 - 山田雅和 (男性)
2022/02/03 (Thu) 21:01:20
どなたか、「建設者」の歌詞をご存知ありませんか?
たぶん中央大学うたう会・さわらびの作だと思います。
覚えている一部は、
♪ タテカン作っているけれど 俺は大工じゃありません・・・みんな明るく学んでゆける 大学を作っていくのが仕事です
ここしか覚えていないのです。
できれば、今作っている本(某小史)に使いたいのです。
青年歌集 - 海彦 (男性)
2018/01/23 (Tue) 13:20:40
戦後、初めて出版された「青年歌集」です。
関鑑子監修 青共中央文化部編
日本青年共産同盟出版部 発行
文庫判型 141頁 151曲収録
昭和23年9月20日発行
定価 65円
発刊に際して(関鑑子)
「今度いよいよ、みんなの待望の、青年歌集が出ることになって、私は大変喜んでいます。歌集、歌集、とどんなに催促されていたかしれませんでしたから...(以下省略)」
Re: 青年歌集 - 海彦 (男性)
2018/01/23 (Tue) 13:45:09
同じ「青年歌集」ですが、なんと井上頼豊さん宛の関鑑子献呈署名入りです。
『聞き書き 井上頼豊 音楽・時代・人』(聞き手:外山雄三・林光 音楽之友社、1996年)の略年表によると、井上さんがシベリヤ抑留から日本に帰還したのは、1948年7月のこと。
そして同略年表によると、9月に「関鑑子に再会。うたごえ運動にかかわる」とあります。つまりこの「青年歌集」は、帰国2ヶ月後に署名入りで献呈された歌集なんですね!
この年は2月に青共中央合唱団が発足、7月井上頼豊帰国、9月「青年歌集」発行、11月には映画「シベリア物語」が公開。こう見てくると、まさにうたごえ運動が始まるにふさわしい年であったと言えますね。
井上頼豊さんにはいろいろな関係で何度もお会いしていて、生前世田谷のお宅にも数度お邪魔しているので、いつの日か、何か書く機会があるかもしれません。
Re: 青年歌集 - 海彦 (男性)
2018/01/23 (Tue) 15:20:02
「続青年歌集」
監修 関鑑子(日本民主青年団中央音楽院校長)
日本民主青年団出版部 発行
文庫変形判 70頁 49曲収録
1949年11月発行 価 40円
挿絵(カット)ちひろ(いわさきちひろ)
この「続青年歌集」非常に珍しいと思います。
最初に発行された「青年歌集」は現在もときどき見かけることがありますが、「続青年歌集」は見たことがありません。
いまはネット検索ができる時代なので、見つけることは可能でしょうが、昔は古書店の目録、古本即売会などで偶然見つけるほかありませんでした。
じつはたまたま昨夜遅く、黒柳徹子・飯沢匡『いわさきちひろ -知られざる愛の生涯』(講談社+α文庫、2013年 第5刷)を拾い読みしていたところでした。
ちひろ美術館にはこの「続青年歌集」あるんだろうか、ふと思いました。
余談ですが、黒柳徹子さんのお父さんの黒柳守綱氏はヴァイオリン奏者で、シベリヤ抑留時代、井上頼豊、合唱団「白樺」創立者・北川剛らとウラジオストックで「沿海州楽劇団」を結成、各地を巡回演奏しています。
Re: 青年歌集 - 質問者 (?)
2021/09/15 (Wed) 11:55:48
ご覧になられるかわかりませんが、現在丁度井上氏とこの1948年出版の「青年歌集」について研究をしております。よろしければお話を伺えませんでしょうか?
Re: 青年歌集 - 質問者 (?)
2021/09/15 (Wed) 12:20:59
海彦様
上の質問者です。掲示板が長らく更新されていないようですのが、もしご覧になられましたらこちらにご連絡いただけますと幸いです。
「日本のうたごえ全国協議会が一切知らない催し」(歌劇『沖縄』)への激励メール文 - 日本のうたごえ実行委員会 (?)
2018/11/11 (Sun) 15:48:26
「日本のうたごえ全国協議会が一切知らない催し」(歌劇『沖縄』)への同全国協議会代表者からの激励メール文
(以下引用:)
京都うたごえ協議会・竹内正彦 2018年11月9日 17:42
To: iejima1970@gmail.com
歌劇「沖縄」演奏団 中山智美様
突然のメール、失礼の段、お許しください。
本日、<うたごえ運動70周年記念行事チラシ在中>として、歌劇「沖縄」演奏会のご案内をいただきました、京都うたごえ協議会の事務局長をしています竹内といいます。日本のうたごえ全国協議会の役員でもあります。
ちなみに、宛名が、「京都のうたごえ協議会」と間違っていましたが…。
さて、私どもが全国の仲間とともに進めてきた日本のうたごえ運動は、今年、2018年をもって、70周年を迎えました。
そして、数年前より70周年プロジェクトを立ち上げ、一連の70周年記念事業を行っております。
その中には、中山様からのご案内の演奏会は含まれておりません。
70周年を記念する普及曲としましては、池辺晋一郎さんの作曲による合唱組曲「こわしてはいけない」をとりあげ上演しており、
年明け1月に行う70周年記念日本のうたごえ祭典でも演奏します。
今の情勢の中、歌劇「沖縄」の演奏会を行われることは意義のある事だと思いますし、ご成功をお祈りしますが、
日本のうたごえ運動をすすめる、日本のうたごえ全国協議会が一切知らない催しを、「日本のうたごえ70周年記念」と名乗られることにつきましては、いささか、違和感を覚え、一言メールさせていただきました。
ご高察のほど、よろしくお願いいたします。
********************************************
竹内正彦 (京都うたごえ協議会)
〒604-8481京都市中京区西ノ京冷泉町118-3
Tel.&Fax.075-811-7851
E‐mail. dorasan@mub.biglobe.ne.jp
1979年日本のうたごえ祭典 - 海彦 (男性)
2018/01/28 (Sun) 10:04:16
チラシですけど、こんなのがありました。
絵はいわさきちひろですね。
裏面に、「ゲストは...イザベル・パラ」
全員で「ベンセレーモス」を歌います、と書かれていますが(ぼくはこの祭典には行っているけれど)なぜか記憶にない。
学生のうたごえ祭典「全国の一部、二部の学生が一堂に会します」とあります。これに参加した方もここにはいるでしょうね。
Re: 1979年日本のうたごえ祭典 - 海彦 (男性)
2018/01/28 (Sun) 10:38:25
「チリはうたう ベンセレモス」
(チリ人民連合のうた ヴィクトル・ハラ作詞作曲)
センターレコード ALS102 (1974年7月発売)¥600
製作 チリ人民連帯日本委員会
発行 音楽センター
歌は佐藤光政。
B面「農民の願い」の訳詞に三浦昭悦の名前があります。
三浦昭悦は中央合唱団所属でしたが、この当時、同じく橋本のぶ代と「三浦昭悦とぽっぷこーん」を結成、各地で演奏活動をしていました。
彼は惜しくも若くして亡くなりましたが、橋本のぶ代さんはソロシンガーとして現在も活躍中。
「知性」うたごえ特集 立命大オンチコーラス - 海彦 (男性)
2018/01/26 (Fri) 17:26:49
雑誌「知性」(増刊)”日本のうたごえ”全頁特集号です。
昭和31年 河出書房発行 A5 307頁
この雑誌に立命大オンチコーラスの記事が掲載されていました。
3段組の小さな活字で1頁分です。
この臨増号は学生時代、血眼になって探しました。
前にも書きましたが、当時はネットもなく、中央線沿線の古本屋、早稲田の古本屋、神田古書店街など定期的に探し回りました。
いろいろなメーデー歌集 - 海彦 (男性)
2018/01/26 (Fri) 12:42:35
1960年代〜80年代にかけて音楽センターが出版発行したメーデー歌集です。
1970年代までのメーデー歌集の歴史を概観すると...
1949年 青共中央合唱団機関紙「うたごえ」メーデー特集
(これはどこかにしまってあるので、出てきたら紹介します)
1951年 第22回メーデー「平和歌集」発行
1952年 第23回メーデー(下記参照)
この後、 第29回メーデーまで「メーデー歌集」名で発行
1959年 第30回メーデーで「平和歌集」名に戻り、1968年(第39回)まで発行
1969年 第40回メーデーで再び「メーデー歌集」に。以後1973年(第44回メーデー)までこの名称
1974年 第45回メーデーから「春闘・メーデー歌集」に名称変更
1977年 第48回メーデーで「メーデー歌・労働歌集」となり、
1989年までは所蔵の歌集で確認するかぎり引き続きこの名称ですが、それ以降については分かりません。
新青年歌集 - 海彦 (男性)
2018/01/24 (Wed) 10:06:25
関鑑子監修「新青年歌集」
編集発行 自由青年出版社
1950年9月20日発行 ¥50
申込先 日本民主青年団出版局
文庫判型 138頁 109曲収録
この歌集も珍しく、滅多に見ることができません。
Re: 新青年歌集 - 海彦 (男性)
2018/01/24 (Wed) 10:26:27
「新青年歌集」(合唱篇)
東京合唱団編集
大田洋子発行(東京・千代田区)
昭和30年4月10日発行 定価70円
文庫判型 159頁 124曲収録
収録曲など内容は「青年歌集」とほぼ同じです。
但し合唱篇なので、ほぼ全曲合唱用に編曲された楽譜付きです。
「若者よ」ぬやま・ひろし作詞 関忠亮作曲 - 海彦 (男性)
2018/01/23 (Tue) 12:21:50
この前の投稿で、「若者よ」については書きたいことがあると言いましたので、これも先に書いておきます。
「わたしは考えたことを、頭にうかんだままに、また、前夜の考えと翌朝の考えがふつうたいして関連をもたないように、関連もなしに語るだろう」と、ルソーも『孤独な散歩者の夢想』の中に書いていますので、お許しを。
周知のように、ぬやま・ひろし作詞、関忠亮作曲のこの歌は、うたごえ運動及びうたごえ喫茶などで広く歌われて来ました。
作られたのは1947年、その詳しい経緯は関忠亮さんが「歌曲集 美しき祖国のために ー関忠亮作品集-」に記していますので、下の追加画像を参照して下さい。
また、同じく追加画像に載せた「若者よ」に関忠亮さんの「注」がありますが、
作詞者直筆の歌詞を載せましたので、これも参照して下さい。
(原詩と歌詞の位置関係が変わっています!)
こうした詳しい経緯は、ぼくも関忠亮作品集(1982年)で初めて知りました。
最初に演奏したグループに、東大教養学部学生10名がいたこともこれで知りました。
これらの学生たちが後の東大音感合唱団(トニカ)の中核メンバーになったのでしょう。ちなみに関忠亮さんは一時期、東大音感合唱団の指揮者をやっていました。
なお、添付画像のぬやま・ひろし「若者よ」の直筆は、30年程前だったか、ある本の見返し部分に書かれているのを古本屋で見つけ、その部分を切り取って保存していたものです。
自由ベトナム行進曲(関忠亮訳詞) - 海彦 (男性)
2018/01/22 (Mon) 13:59:19
五日が過ぎ、その間書き込みもなく、とくに迷惑でもなさそうなので、つづきを投稿させていただきますね(^_^)
青年歌集について書き込む予定でしたが、目次などを眺めていると、ちょっとした発見がありましたので、それを先に書いておきます。
1月17日投稿画像の右上に「新青年歌集(合唱篇)」(昭和30年4月10日発行、東京合唱団編、発行者 大田洋子)という歌集があります。これの収録曲は「青年歌集」などとほぼ同じものです。編集発行の「東京合唱団」については調べていないので詳細は不明ですが、今なら体裁・内容共「海賊版」(乃至はある種カモフラージュ版)といえそうな歌集です。
それは措いて、この歌集を眺めていると「自由ヴェトナムのために(ヴェトナム人民解放軍の歌)」という歌が載っているのに気がつきました。歌詞と楽譜を見ると、ぼく(ら)の知っているあの「自由ベトナム行進曲」です。この歌が頻繁に歌われていたのは、1960年代後半から70年代初めにかけての頃だったと思います。
そのため迂闊にもこの歌は、アメリカによるベトナム侵略戦争時に作られたものと(ぼくは)思っていました。
しかし、じつはフランス植民地からの解放・独立をめざす「第一次インドシナ戦争」時の歌だったようです。
同年(昭和30年)9月20日発行の関鑑子監修「新青年歌集」(自由青年出版社編・発行、日本民主青年団出版局)にこの歌は載っていません。ところが不思議なことに、第4集(昭和30年4月10日発行、1955年)には掲載されているのです。
そしてこの発行年月日は上記の「新青年歌集(合唱篇)」とまったく同じです。
ということで、この歌の初出は、印刷日が9日早い正体不明の「新青年歌集(合唱篇)」といえそうですが、当時の他の歌集にあたっていないので、いまは断定しません)
参考までに、この「自由ベトナム行進曲」の訳詞・編曲者は関鑑子さんの実弟・関忠亮(1915-1994)さんです。うたごえ運動やうたごえ喫茶でよく歌われる「晴れた五月」「若者よ」「桑畑」「心の歌」などの作曲者でもあります。
なお、「若者よ」については別に書きたいことがあります。
「歌曲集 美しき祖国のために ー関忠亮作品集-」(昭和57(1982)年、芸術現代社、B6、375頁)が手許にありますが、じつは当時、ぼくもほんのちょっぴりこの編集に関わったので、出版直後に関忠亮さん直筆の献辞・署名紙付きの一冊を頂きました(画像)。いまも大切に保存しています。
この作品集にある「自由ベトナム行進曲」(人民のために・自由ベトナム人民軍のうた)によると、訳詞(編曲)されたのは1954年6月で、詩・作曲はノアン・クアン・カーイ。「新青年歌集」及び「青年歌集(第4集)」ではドァン・クァン・ハイ作詞・作曲、と表記。
またもや重箱の隅をほじくり返すような話になってしまいました。ご容赦のほど(^_^;
Re: 自由ベトナム行進曲(関忠亮訳詞) - 海彦 (男性)
2018/01/22 (Mon) 14:06:04
センターレコード CLS-11(音楽センター、1968年11月)
自由ベトナム行進曲、南ベトナムを解放しよう、行動のとき、ベトナムの乙女たち、ベトナムへ送るまい(以上5曲)¥500
自由ベトナム行進曲の解説に「日本では、1955年に紹介され...」とあります。
伴奏編曲:助川敏弥。
補足:
1964年8月発売のセンターレコード新盤No.9(17cm/33回転)に、「自由ベトナム行進曲」の他「私のインドネシア」など計5曲収録のレコードがあるようですが、これは未見。
また1972年11月頃発売のセンターステレオカセットテープ(CST118)「ベトナムのうた」にも収録されているようですが、これも未見。